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2013年7月15日月曜日

旅のおみやげ カブトガニ



 
岡山の旅 おみやげ・思い出
 
カブトガニの抜け殻
カブトガニ博物館で見つけました。
1つのケースに4体入ってるのが1歳(第1齢幼生)
2つ入ってるのが2歳(第2齢幼生)
1つ入ってるのが3歳(第3齢幼生)
 
だんだん成長して大きくなってます。
博物館にいたでっかい(ヘルメットくらい)のは
15歳くらいらしい
 
2億年姿を変えていないというカブトガニ
何が起こっても生き抜いてきた生命力・適応力
すごいです。
 
2億年姿を変えていないというカブトガニ。
2億年・・・そりゃあ、いろいろあっただろ~な~。

2013年3月24日日曜日

旅#4 岡山 小さな美術館めぐり①はじめに

小さな美術館めぐり①はじめに

美術館めぐりは面白い。
特に郷土の誇りにしようと作られている(と感じる)
学芸員さんの意気込みが伝わる美術館はいい。
建物の大きさや古い新しいにかかわらず
企画展で取り上げる作家の知名度に関わらず
見た後、あ~来てよかった、面白かった、考えさせられた、いいもの知った
とたくさん自分の引き出しに入れることができる。
そういう美術館に出会えるのが面白い。

岡山編 
彫刻家・平櫛田中は井原市出身、日本画家・小野竹喬は笠岡市出身と好きな日本美術の巨匠が岡山のゆかりのある人で、それぞれの美術館がある。どんなところか一度立ち寄ってみた。
 
平櫛田中

明治5年2月23日   井原市に出生
 明治26年       大阪の中谷省古の門に学ぶ
 明治30年       上京。翌年、高村光雲を訪ね、教えを受ける
 明治40年~大正2年 岡倉天心の指導を受ける
 昭和12年       帝国芸術院会員となる
 昭和19年       東京美術学校(現東京芸術大学)教授となる
 昭和29年       文化功労者となる

        
 昭和54年12月30日  逝去(107歳)
この上野にある岡倉天心像を作った人。2012.12撮影
ここは、薄暗くて怖いんです。これ、木彫?ブロンズだよね?


小野竹喬

明治22年(1889) 11月20日、岡山県笠岡市西本町(にしほんまち)に生まれ、英吉と命名される。
明治36年(1903) 京都に上り竹内栖鳳に師事。
明治38年(1905) 栖鳳宅の寄宿生となり「竹橋(ちっきょう)」の雅号をもらう。
明治42年(1909) 京都市立絵画専門学校別科に入学。
大正12年(1923) 雅号を「竹喬」と改める。
昭和25年(1950) 4月、京都市立美術大学教授に就任。
昭和33年(1938) 3月、社団法人日展の発足にあたり、常務理事となる。
昭和41年(1966) 11月、笠岡市名誉市民となる。
昭和43年(1968) 11月3日、文化功労者の表彰を受ける。
昭和51年(1976) 6月から7月にかけて「奥の細道句抄絵」を開催。11月3日、文化勲章を受章。
昭和54年(1979) 5月10日、京都にて死去。享年89歳。